神戸YWCA夜回り準備会のブログ

神戸YWCA夜回り準備会(仮)のブログです。詳しくはウェブサイトをご覧ください(https://www.kobe.ywca.or.jp/top/activities/regional/yomawari/)。

「ホームレス」という呼び方について

 夜回り準備会は、いわゆる「ホームレス」の問題に取り組んでいる団体といえる。しかし私たちはなるべくこの言葉を使わないようにしている。
 かつて、公園や路上で生活している人は「浮浪者」と呼ばれていた。例えば1983年に横浜で、十数人の中学生が面白がって、山下公園他で寝ている3人の日雇労働者を殺し、20人ほどに怪我をさせた事件があり、このことを当時の新聞は「横浜浮浪者連続殺傷事件」という大見出しで報じていた。これに対して日雇労働者の組合は、自分達は仕事が途切れて収入がなくなると、宿泊料を払えなくなって野宿するしかない、その時に「浮浪者」として扱われるのは差別的だと批判した。「浮浪者」ではなく、失業した労働者なのだ、と主張したのである。
 日雇労働者の平均年齢が高くなり、働けない(病気・障害・高齢)者が増えるとともに、全国的に支援運動が増えてきた。その中で、自分達の運動をどう呼ぶか、言いかえると野宿している人をなんと呼ぶか戸惑いがあった。幾つかの例をあげると、「野宿労働者の人権を守る……の会」「野宿者人権資料センター」「……野宿生活者の……を守る会」「……野宿労働者の生活・就労保障を求める連絡会議」「日雇労働者の人権と労働を考える会」等々、「浮浪者」ではない呼び名を模索して来たように思われる。「野宿者」「野宿労働者」「野宿生活者」等の表現はこうした苦心の表れである。
 マスコミも「浮浪者」の代わりに様々な呼び方を模索してきたが、近年では「ホームレス」と言うカタカナ語が使用されることが多い。この言葉は「浮浪者」よりはスマートに聞こえるので使われるようになったのだろう。しかし、意識の中では「浮浪者」の言い換えに過ぎないのではないだろうか。「ホームレス」には「どことなく怪しい、普通でない」「不審者」「ルンペン」という語感がつきまとう。
 カタカナの「ホームレス」は、もちろん英語の ” the homeless” から来ている。しかし英語の用法であれば、災害や戦災の被災者で家を失い、避難所や知人宅、難民キャンプに身を寄せている人のことも ”homeless people” と呼ぶ。しかし日本のマスコミが災害で家を失った被災者のことを「ホームレス」と報道することはない。また阪神・淡路大震災のときには、被災して家を失った人自身が、公園で隣にテントを張っている人のことを「あっちに住んでいるのは『ホームレス』だから支援せんでえぇ」と差別的に表現したこともある。
 こうした例から分かるようにカタカナ語の「ホームレス」には単に今は住む家がない人を表現するという以上の、かつての「浮浪者」という言葉に通じる差別的な語感がただよっている。だから私たちは「ホームレス」という言葉を避けている。
 とはいえ「野宿者」や「野宿している人」という表現も難しい。「野宿者」と言うと、その人の人格全体が「野宿」と言う色に染まって見えてしまう。確かに、野宿している人なのであるが、その人が同時に日雇い労働や都市雑業に従事する労働者であること、様々な工夫とやりくりをして日々を送る生活者であること、権利の主体であり社会を構成する市民であるということが見えにくくなってしまうのではないかと思う。とはいえ、現状では他に良い表現も見当たらないので「野宿している人」という言葉を使っている。
 また、法律・行政用語としての「ホームレス」という言葉にも注意しなければいけない。2002年8月7日「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」が施行された。ここに日本の法令上はじめて「ホームレス」という言葉が登場し、次のように定義された。
「この法律において『ホームレス』とは、都市公園、河川、道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所とし、日常生活を営んでいる者をいう」。ここで「故なく」というのは列挙されている「施設」を管理する側にとって「故なく」ということだ。寝ている側の事情として「故なく」して「ホームレス」である人に私たちは出会ったことがない。
 さらに厚労省は、この定義に基づいて、いわゆる「ネットカフェ難民」などは「ホームレス」ではないとして、かわりに「住居喪失不安定就労者」と名付けている。「住居喪失」と言っているのに「ホームレス」ではないと言い張っている訳だ。
 こうした定義に納得できない私たちとしては、安易に「ホームレス」という言葉を使うことはできない。
(活動報告書vol.4より転載)