神戸YWCA夜回り準備会のブログ

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反G8・豊浦キャンプでのできごと 2

22kmのために

 再び会議が始まった。ハイ、明日の行動どうするか。まず今日の行動をそれぞれ報告、振り返り、共有。午前中のデモの帰りの無届けデモの映像が流され、ちょっとなごむ。アフロのSEがばかっぽくて笑えた。その上で、明日について。この日はファシリテーター(仕切る人)がリーガルもやってるDNという子に代わり、時間を区切りながらかなりさくさくすすめる。小グループに別れて、まず22km歩くかどうかについて話し合う。関西からの参加組で話し合うが、歩けるんじゃないか、という話になった。今日歩いた経験をもとに、歩ける提案をしよう、と。各グループが話し合いをもとに発言。昨日とうってかわって全体に歩くムードだ。今日の駅にさえ辿り着けなかった経験がみんなにひびいてるんかなぁと思う。私たちにはデモ申した道を歩くしか自由がないのだと。しかしこの日は、伊達からUやLたち関西メンバーが来て、伊達と一緒にデモしませんか提案もある。ドイツのパンクバンドが豊浦でライブするかもの話もある。おおむね歓迎ムードで受け入れられる。Lのキャラ勝ちだった。
 話し合いの方は、やはり22kmのデモより、どんな行動をするか、を話したい!という人たちと、デモがまず歩けるのか、という話をすべき、というのに分かれたように思う。その過程で、「行動するってそのことばっかりで、そういう西洋男子のマッチョなやり方にはもううんざり」とドイツのJGからの発言があったり、みんなで集まる話し合いの場の前に、お酒をがんがん飲んで大きな声を出すという状態がどうなのか、という発言が東京のRSさんから出たり、うなづくことも多く、おもしろかった。この日だったか憶えていないが、こうして延々ミーティングが終わらないことで、物理的にしんどい、という意見も出たり、あとは英語優位である会議がどうなのか、英語母語でない人もこんなにいるのに、という話もあった。
 結局22km歩く感じで決まっていきそうだった。話もいい方向に滑っていきそうだったので、とりあえず本日もYDさんの寝床確保へ。今日は昨日テントと寝袋も浸水したので、まったくゼロから探さないといけない。ミーティングはまだ終わりそうにないので、この集会場以外で探さないと。主催界隈らしき人たちに、テントのほかに泊まれるところがあるか聞く。どうやらいくつかロッジがあるらしく、そこに泊まってる人に了解をもらって、入れてもらうことに。しかし、寝具は全くない。毛布を持っている白人のひとがいたので、聞いてみる。彼は、これしか持ってないのだが(毛布だけ持って、夜回りしてるひとみたいだった。。)自分もテントがないので今寝るならどこか場所を教えてほしいと言う。その毛布をYDさんと分けて二人でロッジで寝てもらうことにした。その人はSSといい、偶然神戸の友達の友達だった。狭い。
 集会場に戻ると、最後の方は発言の前にまず自己紹介を入れたり、各国からそれぞれの行動・表現をしようという話があったり、外では韓国の子たちのプチキャンドルデモもあり。なんだか和んでいた。かなりいい雰囲気で終わったみたい。
 私も早めにテントに戻るが、この日は全く寝付けなかった。アタマの中にいろんな言葉ががんがん響いてて、神経がピリピリ。アタマが睡眠に入らないので体を横にしてても全然ダメだった。明日22kmだというのに!あと夜中にいきなり爆音で音楽が鳴り、しばらく嬌声や音が鳴っていて、おいキャンプサイトだぞ誰だ、と思ったけど今体も起こしてしまったら全然休めない、、と我慢。しばらくして誰か他の人が注意したのか、音は鳴りやんでカエルの鳴き声に取って代わった。

【7/8】22kmデモ

 さてとうとう22kmデモ!当日。結局ほとんど夜明けにまどろむ程度で、しかしこの日は、毎回の共同炊事に参加できてなかったので、ごはんつくりに参加しよう、と早起きした。結構たくさんの人が起きて、協力してごはんをつくっている。ほっとする光景だった。パペットアーティストのDVがいたので、少し話す。彼は昨日のミーティングで、伊達と合流して一緒にやる案を強く推しており、そのWG(ワーキンググループ、いうたら担当)をやる、と話していた。その後どうなっただろうと聞くと、とくにどうもなってないようだ。今日は一日デモだし、段取りは帰ってきてからやるしかないか、という感じだった。前日に歩いていたので、少し道の感じが分かっていい。しかも、今日は昨日と違って多くの人が一緒に歩く。それだけで嬉しかった。デモはいろんな楽器で楽しげにスタート。ピアニカが鳴り響き、マーチというのがぴったりだった。
 この日は前日のデモとは、またうってかわったものになった。22kmというのはやはりかなりキツかったが、それ以上にいろんな表現や出来事があり、なんとか歩き切れた、という感じだった。やったこと羅列。通訳のUMちゃん発案、Amazing Graceの替え歌で、やーめろーGー8ー!(これは帰ってきた大阪でも歌い継がれた)アメリカからのアニオタらしい子が、セーラームーンムーンライト伝説を歌い出したので一緒に熱唱。意外と全部憶えていた。しかしその子はゲーム音楽とかもっとマニアックなのもピアニカで吹きまくる。フランスのCNTの子たちが教えてくれたインディアンダッシュ。急に止まってしゃがみ込み、アワワワと声をあげていきなりダッシュ、誰が考えたんだ?両サイドの全国各地の警察の兄ちゃんたちはオロオロ。トンネルの反響も昨日よりすごい。休憩地点が海ならば泳ぐ海外勢。山ならばみんなでへたり込んでゴロゴロ。暑いので誰かがトトロのような山芋系の葉っぱを配りだし、みんなトトロ姿に反応。傘差してたら写真撮られる。さすが世界の宮崎アニメ。デモ長すぎるし山歩いて意味あんのかよ!と言ってたフランスのにーさん達が、やけくそのように「ハイキング!ハイキング!ハイキングデモンストレーション!」とシュプレヒコール。地元の散歩のおじいちゃんに遭遇すると、「こんなこと(サミット警備)に税金使って、わしらには後期高齢者とか押しつけて、死ねと言ってるようなもの」とか話している。応援される。YSが演歌を歌い出す。ドンパン節も歌える、すごいな。懐メロも飛び交う。なんしか、歌でも歌わんとやっとれん、て感じやった。歌なら言葉は違ってても結構共通するようで、イチローさんの牧場とかをいろんな国の言葉で歌う。昨日ぶよに噛まれたらしい足首がぱんぱんに腫れてきて、結構やばい。

疲労困憊

 解散地点のとようら道の駅に着いた!そこで何かやるという雰囲気でも場所でもなかった。それより何よりみんなの気力と体力が限界にきていたように思う。みんな、ようやく辿り着いて、思い思いに転がったり休んだりしていた。そしてソフトクリームやイチゴなど、豊浦の物産を満喫していた。バスが来るまでに、アエラの記者と韓国からのメディアアクティビスト、CYにインタビューを受けた。アエラにはまともに答えられなかった。なんで反G8行動に来たのか、前提から説明する気力もなかった。ええと付き添いで、とかテキトウに答えているうちに、こいつはダメだと判断したのだろう、そそくさと他の人の所に去っていった。CYはデモ中ずっとビデオを回していて、韓国語のお金とウンコの発音が似ていて間違いやすいという話から、YSと日本のキタナイ言葉を教えてあげていた。韓国の、「イムのための歌」?か何かを歌ってくれた。彼は安心できる感じで、インタビューも素直に受けられた。デモの感想を聞かれたが、しんどかったけど、なんとか多くのメンバーで最後まで歩き切れて、ほっとした、というようなことを話したと思う。
 そのうち、町営バスが来て、第1便で帰る人はそれに乗っていった。残ったメンバーで軽く宴会。誰かがビールを買ってきてくれ、カンパで分けながら乾杯。またもやビールがうまくて泣きそうになる。デモどうだった?という話になって、DVが、「これまで参加したデモの中で一番良かった」と言う。なんで?と聞くと、「このすばらしい自然の中を歩くということに意味がある。この、まさにここのこういう景色のために私たちは歩いたのだ。こういった場所を今から破壊しようとする会合に反対するために。そのことがすごく率直に感じられるコースだった」だいたいそんなことを言っていたように思う。褒めてのばす人だねぇ、と感想を言ったら訳されずに笑われた。しばらくみんなでまったりしていたが、そのまわりを公安がずっとうろうろしている。あまりにうっとうしいので、何人かが立ち上がり、楽器を持って公安に帰れコールを始めた。
 公安かえれ!かえれ!かえれ!1人がちょー至近距離でじっと睨み合っている。チューしちゃうんじゃないかとはらはらするぐらい近かった。こういうときにチューとかしたらどうなるんだろうか。それも公務執行妨害になるんだろか。睨み合うにしても、あんな顔が間近の至近距離でなんて、ちょっとムリとか思った。私たちの帰れコールに囲まれ、あきらめて車に乗って二人の公安が去って行った。くだらない仕事だと思った。
 第2陣のバスで帰る。地元のおじさんたちが見送ってくれた。なぜかずっとYSとコイバナしていた。神経がおかしくなってた。途中セイコーマートでチューハイなどを買い込み、さらに飲む。帰った時点で結構酔っぱらってた。帰ったらお風呂ができてる!!そのことに感動した。待ってる間につくってくれてる人がいたことにも感動。

合流に向けて

 しかしその喜びも束の間、すぐに伊達との合流に向けて動くことになった。昨日伊達から移ってきてたHYがすでに、おそらく帰りのバスでだろう、通訳のJMとそのことを具体的に話していて、一緒に話す。まずは伊達の感じがどうなのか、Uと連絡とりつつ、HGくんやDVもその実務に加わっていく。まずは何人行くのか。交通手段は。どんな行動をしたいのか。豊浦での行動を準備してた人たちは、伊達との共同行動は全く考えていないようで、行動に合流するバスももともとなければこれから準備もできないようだった。
 とりあえず電車やバス、タクシーの交通手段についてだけHGくんやHYに調べてもらっている間に、Uと連絡を取り、伊達と合流するためにはどうすればいいのか、話す。弾圧のこともあり、受け入れについては慎重に話がされているようだ。伊達で22時から会議をするので、それまで待つが、それまでに、豊浦からおよそ何人来るのか、デモの内容はどういうものか、それを知らせることと、自分たちで救援の体制をつくってほしい、などの話だった。
 交通も大変だった。公共交通手段で行くなら、集会場までは電車とバス。それぞれ1時間に1本しかない。集会に間に合うように組み合わせを考える。そうするとバスで行くには朝5時台に出発しなければいけない。ちょっとムリだ。ほんとに僻地にいるんだなぁと思えた。タクシーを考える。段取りをすませ、ごはんを食べているみんなに呼びかけて、いざ21時から会議へ。リミットは22時。ごはんを食べる暇がない。お風呂に入る暇もない。うひー。

ラストミーティング

 焦点は、その時点で行きたいという40人あまりをみんないっきに輸送する手段がなく、公共交通で行くしかない。ただもう一つ、ちょっと遅くなるが壮瞥までのピストンバスに乗って、デモの途中で合流できるよう降ろしてもらう、という案もあった。しかしそのバスは人数が26人と限られており、どうしても全員は乗れない。やはり公共のものを中心に考えざるをえなかった。
 つまり第1便が、礼文駅まで40分歩き→礼文伊達紋別まで電車→そっから集会場までタクシー。第2便が、壮瞥までのピストンバスで途中デモに合流する。この二つ。できるだけ第1便で行ってもらうことと、どうしても金銭的負担の増える第1便の負担を共有するために、お金は全体で計算して割ってカンパで集める、というやり方でやりたいがどうか、とみんなにはかる。合意がとれ、早い便で行くというひとも20人以上手を挙げてくれたので、これでタクシーを手配し、時間を確認し、実務作業に入る。すでに22時を過ぎていたので、Uに連絡し、豊浦の状況を伝える。
 デモのやり方については事前にDVが提案してくれていて、ストップ&ダッシュのようなやり方をしたい人たちや、警察に介入されそうな行動をするかもしれない人たちをデモ隊の中の方に配置し、パペットやドラムなどを外側にして守る、ということだった。これが海外のデモでよく言われているブロック制なんだと後で気づく(そしてそういう役割分担みたいなものは日本でもあるやん、とさらに後で気づく)。そういった内容をUに話す。「ダッシュしたりするの」と言われるが、最終的に伊達側はわたしたちのしたい表現で、と受け入れてくれた。きっといろんな話があったんだろうが、一旦受け入れてくれたことはすごく感謝だった。
 実務や連絡をしている間にも、みんなからの質問を受けたり、なんやかやと大変で、その間に私は集会場でずっと取ってたメモをなくしてしまったりプチパニックになっていた。しかし、関西組の面々がいろいろ自分たちで行動していて、すごくたのもしかった。移動の段取りと、明日どういう風にするかという話が詰められ、会議の最後の方には、今回のキャンプや行動を少し振り返るような発言も出ていた。例えばフランスのCNTの1人が、「今回は行動のやり方やキャンプのあり方についてばかり話になってて、どうしてこれをしたいのか。なんでここに集まったのか、という話がなかなかできなくて残念だった。でも日本に来れて、日本の人々と一緒に共同行動ができてすごく嬉しく思う。ぜひ来年のサルディーニャ島に来て、そこでの私たちのやり方も、一緒に経験してみてほしい」と言っていた。前日にJGに「行動の話ばっかりしようとするマッチョさにうんざり」と言われていた人だった。そのときはすごくうなだれていた彼のその発言に、泣きそうになった。彼も母語でない英語で、伝わりづらいこともある中で、いろいろ考えていたんだろうと思う。他にもスペインのNCとか、日本の運動がこれからよくなってくように、これからつながって話していくための回路として、MLをつくろう、という提案もあった。嬉しくて涙が出た。
 全体の会議が終わって、明日第1便で行く私とJM、SEなど顔合わせ・連絡確認をし、第2便では、HGくんと通訳のKちゃんが行くことになった。会計と引率を担当し、何人かで最終確認。出発時間について、みんな曖昧だったので、ホワイトボードに書きなおした。たしか6:30集合にしたと思う。会議に継ぐ会議と実務と通訳でみんなもうアタマがぐちゃぐちゃだった。
 その間に少し、CNTの子たちと話ができ、やっと実務以外の話ができてまた泣いた。CNTの発言してた子はEといい、フランスで野宿の支援もしているとのことで、いろいろ話した。ようやくごはんを食べ(なんかすごくうまかった。動物性のものを使わないベジタリアン食ながら、ごはんは日に日に深化してて、つくる場にいれなかったのが残念&申し訳ない)、野外での映像祭を横目で見ながらお風呂に入る準備。遅すぎたので、また焚いてもらうことになり、Bさんが焚いてくれた。会議ではわけ分からんと思ってたけど、ふつーにいい人だなぁと思った。そして、明日の行動に関しては、最初あんなにデモで規制をかけていた面々が、会議からほとんどノータッチだった。限界だったのだろうか。放っておかれるのはありがたいような、見放されたような、複雑な気分だった。
 明日の行動には参加しない人も多く、みんな結構遅くまで喋っていた。お風呂からあがって、あんましちゃんと食べれなかったせいもあり小腹が空いたので、飲んでる界隈に行き、焼酎とおやつをいただく。そこでも、東京からのリーガルCGさんがデモ指揮の話などしてたので、明日はどんな感じになるかな?と聞くと「知らない」と言われ、なんだよう、と思う。うーん、伊達と豊浦がそんなに一緒にできない理由があるのだろうか。あるとしても何でそれをオープンにしないのだろうか。しかし疲れてたので、それ以上話はせず、集会場へ。今日は毛布持ちSSもいないので、私の寝袋をYDさんに貸し、HYと一緒に寝た。しかし寝袋一つを敷いて上布とかで眠るには、えらく寒くて何度も目が覚めた。(3につづく)