神戸YWCA夜回り準備会のブログ

神戸YWCA夜回り準備会(仮)のブログです。詳しくはウェブサイトをご覧ください(https://www.kobe.ywca.or.jp/top/activities/regional/yomawari/)。

反G8・豊浦キャンプでのできごと 1

ここに載せるのは、夜回り準備会のメンバーnが2008年7月に反G8サミット行動で洞爺湖現地キャンプに参加したときの記録です。書いたのは帰ってきてすぐですが、今回夜回りの報告書に少し記事を書かせてもらい、長すぎるこの日記のような記録はブログに載せてもらうことになりました。洞爺湖で行われたサミットには、世界各地から反対する人が集まり、札幌と、現地近くの豊浦・壮瞥・伊達の3箇所でキャンプとデモなどが行われました。nはそのうちの豊浦キャンプに滞在、連日のデモに参加しました。日本でこれまでになかった多くの海外勢を受け入れるためのキャンプの取り組みの中で、起こったこと、考えたことを時系列で書いてあります。

【7/6】各キャンプへ

 札幌からキャンプへ移動。前日から、京都から船で来た組と合流し、一緒に行動している。関西から、京都の子たちを中心にフェリーで行くツアーが組まれ、仕事があった私は飛行機でそこに途中合流。反戦生活や長居のなかまなど見知ったメンツと、文教大学の子たちなど、知らない人たちも半分以上。総勢20人余りだろうか。伊達と豊浦と、半分ずつくらいに別れる。各キャンプへ向かうバスに乗る前から(ホントはもちょっと前から)豊浦キャンプにはメシがない!?という話がささやかれる。「そんなこたない、食材はあります!あと、山谷のひとも(炊き出し班として)来ます!」とアナウンスされる。何人かで、食材があるなら自分らでつくればいーじゃんね、という話をする。楽観。山谷が来るのも知ってたので、豊浦行きのバスに乗る。私はとにかく、扇町公園テント村代表?YDさんとともに山谷/隅田の炊き出しチームに合流するのが第一の目的。あとは決まってない。大阪では釜パトに弾圧があり、扇町から行くYDさんと、誰か一緒に行けないかということで、同行することに。
 バスは結構空いている。ひと少ない。日本人もそんなに多くない。YDさんに、自衛隊時代の話をいろいろ聞いたり、寝たり、あそこに植わっている野菜はなんじゃろ、と話したりしながらバスはすすむ。途中のサービスエリアで野菜とか、いろいろ売っててステキ。一応酒は買っておく。じゃがいも焼酎。私は酒しか飲まないのでタバコのことには気づかないが、YDさんはタバコが切れてたみたい。ビールとタバコを買ってた。
 豊浦に着く。検問があるとか言われて緊張していたが、結局なかった。山山山―――。山しかない。とりあえず受付し(一泊1000円のカンパ前払い)、テントを張って、最初のミーティング。段取りはあまり決まっている感じではなく、キャンプ内でいくつか話し合わねばならないことが示されるが、通訳と仕切るひとが混線しながら、結局まずみんなでごはんをつくって、食べて、それから全体でミーティングを持とう、という話になる。
 共同炊事スタイルは、おおむねうまくいっていたと思う。言葉や文化の違うなかまと一緒にごはんをつくる。包丁の研ぎ方に笑ったり、みんなでやたら刻んでる生姜の切り過ぎをなんとか止めたり。ただ、つくるひとにしかそのやり方が周知されていなくて、あとから食べに来た人にはあんましうまく伝わってなかった感がある。言葉も違う中で、アナウンスが行き届かない。しかしごはんはうまかった。炊き込みご飯と漬け物とみそ汁。初日から贅沢だ。山谷のなかまとYDさんたち、張り切って、大活躍だった。

ミーティング紛糾

 その後の1発目のミーティングが、やばかった。私たちには、話さないといけないことが膨大にあって、大きくキャンプの運営についてと、明日の行動について。キャンプの運営についても、防衛体制やごはん、セーファースペースやメディア対応などひとつひとつ大事なことが網羅されてたのだが、ほとんど話し合う時間がとれなかった。というのも、明日の行動(というか毎日の行動)の内容が「発表」され、それについて話し合いが紛糾してしまったからだ。行動内容は、これから3日間、キャンプ地から「とようら道の駅」まで20kmデモする(正確には22kmだったらしい)というものだった。それについて質疑が繰り返される中で、徐々に参加者らから、その行動に否定的な意見が出てくる。「デモとはデモンストレーション(威示行動)なんだから、そんな海や山しかないところを延々歩いてどうするのか」「そもそも20km歩けるのか」「最終地点でいったいどんなアクションができるのか。何もできないなら意味があるのか」それに対し、行動を計画していた人たち(たぶんダイレクトアクションワーキンググループという名のもとに集まった面々)からも「警察とのやりとりの中で、最大限できるコースを交渉した」「県道を行く短いコースでは、デモ申請がおりないと言われた」「最大の見所は、デモ途中、山を登ったところでウィンザーホテルが見える」などと返す。
 そこから議論は泥沼化。「どうしてこのデモコースなのか」という問いに、主催の一人であるBさんは「意地だ」と答えるが、通訳者に「それは訳せないよ」と言われる。「そもそもなんでキャンプが3つなのか、行動も2つなのか」には「脱中心でやりたかった」。。うーん気持ちや論理は分かるけど、現実的かどうなのか。。聞きながら思い出したが、私は行く前にネットでこの「おおらかなデモ」という情報に少し接していた。それは、両サイドからウィンザーホテルを挟み撃ちに、とうたっていたので、おそらく湖岸を歩きながら少なくともホテルが見える場所まで行くものだろうと思っていた。しかし、湖岸すら歩けないというのは、それはあんまし挟んでないんじゃないか。そしてそもそももう一つの伊達キャンプの行動と、そんなに一緒にやるって感じじゃないのね。
 北海道に行く前から、やっぱしキャンプ別々なところになっちゃうのやだね、行動も一緒にやれたらいいのにね、なんで別なんだろうと伊達に行くUや何人かと話していた。この泥沼会議が続いているなかでも、伊達の子たちから連絡が入り、一緒にやろうや、の提案もある。一度は「そっちのデモはデモ申されてないらしい」なんつうガセが伊達のLから入って混乱したりもしたが、一緒にやりたい機運は高まっている(私の中で)。そして日本人を中心に「初日なんだし、何か行動はしたい。行動するなら、デモを短くして歩くか、伊達と合流」という感じにまとまりそうだった。インターナショナルズ(海外勢)は、明日の朝起きてから、どういう行動をするか話し合おう、ということになったみたいだった。

小爆発

 ミーティングが少し方向性を持ち出したかな、という0時頃に、キャンプのスタッフらしき二人の日本人が、急に全体に呼びかけた。もう一つのキャンプ、壮瞥キャンプについてのアナウンスに5分くださいという。今ここで必要な話なの?今の議論と関係があるのか?などの意見が出る。そしたら、二人のうちの一人が、「関係なかったら話しちゃいけないの!?」と啖呵を切った。その激しい反応にびっくりした。みんな意味が分かんなかっただろうと思う。結局、ざわついたのち休憩になり、興味がある人は外に聞きに来てくださいというので、聞きに行ってみた。
 そこで、何でそういう呼びかけをしたのかという話を聞いた。このキャンプの運営にすごく疑問を持っている、このミーティングのあり方にも、合意形成の仕方にも。あのぐちゃぐちゃした話し合いの最中だったからこそ、あのアナウンスをしたかった、という。私は、「あの場でああいうふうにしても、あんまりその気持ちは伝わりにくいと思う。みんな長い話し合いで疲弊していて、やっとまとまりかけていたところだった」と言うと、啖呵を切った子に、「あれでまとまっていた?手をヒラヒラさせて、なんとなく多そうだから、で決まっていって。あんなのが合意形成だったらクソだ!」と吐き捨てられた。私はそのあまりにも剥き出しな拒否反応に、ショックで、怖くて、何も言えなくなってしまった。その場は少しして収束し、みんなはまた話し合いに戻って行った。
 私は、さっきのは何だったんだろう、と全体の場には戻れず考えていた。彼らが感じているしんどさ、というのはあるのだろう。そして、それはキャンプをつくっていく過程で、キャンプ地が二つになってしまったり、運営の方法だったり、いろいろな齟齬があったのだろう。でもその何にも説明もされず、いきなりただ激しい拒否反応をぶつけられた。集会場では、そういった経過も何も知らないみんなが集まって、ただどうやって反G8の行動をやるかという一点で、手探りながらも話し合いが粘り強く続けられていた。そのことも否定された気分だった。歩いていて急に犬に噛まれたみたいだ。つらくて、涙が止まらなくなってしまい、落ち着くまでその理不尽についてひとしきり泣いた。
 しばらくしてそろそろ寝たいと声をかけてきたYDさんを真っ暗なテント群に送り、戻ってみると、ミーティングは終わり、明日の行動について話す輪だけが残っていた。はじめミーティングは、全体の半数以上が日本語圏以外の人だった。150人くらいだっただろうか。そこから議論にしんどくなってきた人が抜けたりしながら、最後、明日デモすると集まったのはほとんど日本人の20名程度。コースが短くなったことを呼びかけたら参加したい人もいるかもしれない、と話しながら、明日のツメを話す。Bさんが、とにかく歩いてみてほしい、と言っていた。
 結局私が伊達のUとYTにメールを打ったのは午前3時頃。「明日こっちのデモコースを縮めて10km歩くことに」

【7/7】10kmデモ

 朝、激しい雨の音で目が覚める。雨かよー。一気に萎える。靴はかろうじてテントの中に入れてて無事だったけど、私のスニーカー、踵に穴が開いていて、雨天対応ではないんだ。今朝の共同炊事には参加できず、すいませんと思いながら朝ご飯をいただく。デモに行くことにしたYDさんはテントも寝袋も浸水してビショビショや、と言っていた。SEや他の何人かも、被害を受けている。これは結構萎えるなー。出発時は小雨。水はじきしないカッパを着て、共同炊事組から合流したYSやTOさん、RNと並んで出発。霧雨の中、鬱蒼とした森を抜けてひた歩く。ときどきシュプレヒコールをあげて、気合い?を入れるがこぢんまりとしてて、ちょっといい感じ。
 30分くらい歩いた、もうすぐ最寄り駅、というところだろうか。カマボコと機動隊たちが見える。先導車がついて、ようやくデモらしくなった。人数は、昨日より増えていて、全部で4,50人になっていたと思う。それでもほとんどが日本人だったが。革共同と白抜きされた赤い鉢巻をつけていた人たちがわらっと一団になっている。聞くと、彼らはほとんどが仕事で今日帰らねばならなくて、だから初日に行動がなくなる、ということはありえなかったみたいだ。彼らの旗を掲げることにかんしては、主催者たちは、話し合いをして掲げないということで合意していたようだ。そこらへんのことは、分かる人にしか分からない、とでもいうような不文律があったように思う。
 デモはひたすらシュプレヒコールをあげてすすむ。前の方でトラメガで叫んでいるが、なかなか後ろまで聞こえない。長いものになると、何を言ってるのか分からない。だんだん結構飽きてくるが、おもしろいコールが入るとまた盛り上がる。「誰のせいでここにいると思ってるんだー」「誰のおかげでそこにいられると思ってるんだー」後ろはいろんな人がいろんなことを言っている。ワッショイは簡単で盛り上がる。しかし、ずっと叫ぶのはかなりキツい。ワッショイの代わりに、「フゥ、フゥ!」を編み出した。字面だと伝わりにくいかもしれないが、モー娘。LOVEマシーンで使われてるみたいなやつ。これだと、声を張り上げなくてもいいし、喉もラクで高い音が出るので周りに聞こえる。YDさんと二人でフゥフゥゆってたら、あまりにバカっぽかったのか、RNやYSが横で大笑いしていた。そのうちYDさんは演歌を歌いだしたりして、えぇ声を披露していた。
 海岸線をひた歩いたデモの最終地点は、大岸という駅で、やっと少し民家が集まっていた。それまで、ちょこちょこまばらにいたホタテ工場のおばちゃんや、農家のおっちゃん、カモメ、犬などギャラリーの反応は上々で、みんな笑って手を振り返してくれたり吠えたり鳴いたり。写メも撮られまくっていた。大岸駅前の草野商店にて、ビールやつまみを買い、みんなで打ち上げ。草野商店はかなりのデモ特需だった。結構疲れたので、デモ後のビールがものすごく美味しかった。レインボーアフロをかぶってハッピを来てたSEが「写真とってもいいですか」と言われる。どこの人かと聞くと、講談社講談社の何の取材か聞くと「フライデー」。こちらは苦笑い。「そんな引かないでくださいよー」と言われる。SEが、自分はいいけど、と言うと何の取材もなくひたすら写真をばしばし撮る。これに書きたい放題書かれるのか、と思う。週刊新潮の長居代執行時の芝居を撮られた写真とキャプションを思い出す。
 しばらくみんなで休憩した後、レンタカーでおにぎりなどを運んでくれてた革共同の人たちが、一旦キャンプに戻るししんどい人は乗せてくれるという。私やYS、YDさんたちは、お言葉に甘えて乗せて帰ってもらうことに。残りのみんなは電車でキャンプ最寄りの礼文駅(1時間に1本ほど)まで行って、そこからまた40分ほどの歩きだ。これは結構人によっちゃキツい。帰りの輸送手段は本来のデモだったらバスが用意されていたはずだが、デモコースが短くなったことには対応されてなかった。

もうひとつのデモ−遠足

 戻ってちょっとすると、残っていた海外勢がぞろぞろと動き出していた。集会場で話し合い、とにかく電車で行ける所まで行ってみる、ということになったようだ。私とYSも行くことにした。しかしそこでもまた、主催の制動がかかった。入り口ゲート近くに集まってどういうことをするか話していたインターナショナルチームに対し、Bさんが「これからの行動は逮捕の危険性がかなり高い。日本では逮捕されると起訴なしで23日間拘束できる。捕まった人はもちろん、それを救対する人も必要だが、こちらにはその準備はない。ここに居る中でそれだけ日本に残って対応ができる人はいるのか」と問う。それに対し、半数弱の人が手を挙げ、Bさんは退散した。と、思ったら今度は「日本人集まってください」。そして、「彼らは電車の駅まで行き、電車に乗って豊浦駅を目指す。下手したら駅まるごと包囲されて全員逮捕もありうる。日本人はさらに逮捕の危険性が高い。通訳や、リーガル以外の人間は、はっきり言って足手まといにしかならない。行かないでほしい」と。通訳の子の中には海外に住んでいて、逮捕されると出入国がむつかしくなるということもあり、そこまで逮捕のことを言われ、行くことにためらいを表明する人も居た。
 まるで脅しだ、と思った。外国人は切り捨てる、自己責任でやれ、という話じゃないかと思った。インターナショナルチームは、日本人の方が逮捕の危険性が高いということで、日本人を守るという陣形についても話していたというのに。「これから、デモではなく、遠足に行きます!」とJMが通訳していた。雨がきつくなってきて、大岸で別れた子たちが戻ってきた。ワッショイですごいテンションだ。帰り、礼文の駅からの道のりはまるで無届けデモで、やりたい放題ですごく楽しかったのだという。彼らにはBさんが、今から外国人チームが出発するが、日本人は極力行かないでほしい、と説明する。みんな納得していた(というか疲れてもいたと思う)のか、話を聞いて見送りにまわった。私とYSは、悩んだ結果行かないことにしたが、まるで“外国人たちが勝手にやりたい放題やるのを見捨てる”というような感じがして、申し訳なかった。行動は別れても、一緒にキャンプをともにしているなかまだという意識は、昨日の夜からできていた。
 雨の中出発するインターナショナルチームを見送り、YSと少し悶々をシェアして、炊事を手伝って集会場でご飯。カレーであった。ずっとフード班にいた東京からのSZさんのサラダの味付けが秀逸で、おかわり続出。韓国から来たメディアアクティビストの子たちと話しながら食べる。しかしちょっと寝とかんと、と思い横になる。しばらくして山谷のMKさんが「キャンプは今日で終わりかもしれない。今行っているチームで逮捕者が出たらキャンプにガサが入る。その対策を話し合おう」とアナウンス。緊張感が漂う。と、誰かが「戻って来たーー!!」と叫ぶ。一時間も経っていなかったように思う。ずぶ濡れで帰ってきたみんなを出迎え様子を聞くと、礼文駅に辿り着く前に警察に阻止線を張られ、そこから行かせてくれなかったそうだ。みんな疲れきっている様子だった。カレーを盛り、手渡して行く。
 雨がずっと降っていたこともあり、集会場は人でごった返していた。しばらくまどろんだり、寒さに目が覚めたりしていると、パイプ椅子に輪になって座っていた、フランスかスペインあたりの人たちがどっから手に入れたのか、大五郎の5ℓペットボトルを持ち込み、回し飲みしている。ときどき日本人の男の子たちも混じってイッキ。「飲まないとやっとられん、て感じなんだよ」と防衛で遠足に付いてってたYZさんが言う。んんー。ときどきでかい声も聞こえる。集会場はわいわいした雰囲気に。(2につづく)