夜回り準備会の沿革
ここでは神戸YWCA夜回り準備会の成り立ちから現在までのあゆみについて簡単に紹介します。
阪神・淡路大震災の救援活動から
そもそも、神戸YWCAでの野宿している人への支援活動は、1995年1月17日に発災した阪神・淡路大震災の救援活動がきっかけで始まりました。
阪神・淡路を襲った最大震度7の都市直下型地震では、死者6,434名という戦後未曾有の被害が発生しました。住宅被害も甚大で、186,175世帯が全壊、274,181世帯が半壊し、多くの人が一瞬にして住む家を失いました。当時、神戸市中央区上筒井にあった神戸YWCA本館も住むところを失った人の避難所となりました。
テント村での活動
学校などの公的避難所は人であふれかえっていました。避難所に入れなかった人々は、倒壊した自宅、公園や空き地のテント、あるいは自動車の中で避難生活を送っていました。震災後1週間ほどから、そうした公的避難所の外にいる人々へ、神戸YWCA救援センターのボランティアが物資や情報を届けて回りました。
「ホームレス」との出会い
一ヶ月ほど経った頃、公園のテント村を訪問していたときに、ある住民から「向こうのテントの住人には物資を配らなくてよい」と言われたことがありました。その「向こうのテント」に暮らしている人は、震災前から住むところを失っていた人、いわゆる「ホームレス」でした。多くの被災者が野宿していた当時の神戸で、こうした差別があったのです。
この件について、救援センター内で議論を行いました。そこで「震災によって家を失った人であろうが、そうでない理由で家を失った人であろうが、区別する理由がない」ということで、その後も同じように対応することとなりました。
「神戸の冬を支える会」の結成
1995年初秋より、神戸市内で同じように震災救援活動をしていて、「罹災証明を持たずに」つまり震災以外の理由で家を失って野宿をしている人を支援しているいくつかの団体が集まり「神戸の冬を支える会」が結成され、神戸YWCA救援センターもその構成団体の一つとなりました。
この「支える会」は、年末に野宿をしている仲間たちで支えあって冬を乗り越えるために、市役所南の東遊園地にテントで「冬の家」を開設しました。ここに神戸YWCA救援センターからも毎日ボランティアを派遣しました。冬の家を建てて神戸市と交渉を重ねた結果、更生援護相談所の施設改善を勝ち取り、冬の家は撤収することとなりました。
夜回り活動の開始と展開
しかし、まだまだ寒い日が続いているため、支える会の呼びかけに答えて、1996年2月中の毎週土曜日、カトリック中山手救援本部や支える会の協力を得ながら、中央区(東部)と灘区で夜回りを始めました。これが私たちの「夜回り」活動のはじめになります。
1997年には、野宿している人の状況把握のため、厳冬期以外にも月1度くらいのペースで生田川から石屋川あたりの夜回りを続けていました。1997年9月ごろには、青木フェリー乗り場の待合室で暮らしている人がいるという情報を得て、訪問の範囲を東灘区まで広げました。
「夜回り準備会」の発足
1998年3月末には救援センターの活動は終了しました。4月より新たに神戸YWCA震災復興委員会が発足しました。この震災復興委員会では救援センターからいくつかの活動を引き継ぎましたが、その内のひとつが「夜回り活動」でした。
この活動を行うグループの名称については、話し合い考えたあげく「夜回り準備会(仮称)」となりました(現在では「(仮称)」はとっています)。どうもピッタリとくるネーミングが見つからなかったという事情によるものです。
このころから、毎月第2・第4土曜日の夜回りと第3土曜日のミーティングが恒例化しました。
1999年からは「病院訪問」や福祉事務所への同行などの「昼回り」の活動も始り、現在にまで続く活動のスタイルが定まりました。
(年間活動報告書vol.4より一部抜粋)